平等・公平に訴える論証
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Appeal to equality / Appeal to equity
平等・公平/不平等・不公平を根拠に論者/論敵の言説を肯定/否定する
<説明>
「平等に訴える論証」とは、曖昧な概念である【平等 equality】【不平等 inequality】を根拠にすることで言説の真偽の判断を操作するものです。
「平等」とは、個人がもつ能力・資源に関係なく、すべての個人に同じ権利・機会・資源が保証される状態を意味します。「平等」を絶対善として行動の根拠とすることは一見して正当な論証であるように受け取ることができますが、実際には、何を平等とするかによって人の価値観は大きく異なります。
ここに、「平等」の代表的な概念として【機会の平等 equality of opportunity】と【結果の平等 equality of outcome】があります。
「機会の平等」は【形式的平等 formal equality】と呼ばれ、誰もが同じスタートラインに立つことを「平等」とする概念です。「全ての国民が人種、信条、性別、社会的身分または門地によって政治的、経済的または社会的関係において差別されない」とする【法の下の平等 equality under the law】を大前提として国家が競争に関与しないという【古典的自由主義 classical liberalism】の理念です。
「結果の平等」は【実質的平等 substantive equality】と呼ばれ、誰もが同じゴールラインに立つことを「平等」とする概念です。正当な理由に基づく区別である【合理的区別 rational classification】を大前提として【富の再分配 redistribution of income and wealth】という形で国家が競争に関与するという【社会主義 socialism】の理念です。
ここで留意する必要があるのが、「機会の平等」によって「結果の平等」は達成されないことです。スタートは同じでも、個人の【能力 ability】が異なれば、ゴールが異なります。スタートは異なっても、また個人の能力が異なっても、同じゴールを達成するのが「結果の平等」です。
哲学者のマイケル・サンデルは個人の能力を【運 fortune/luck】と考え、【能力主義(メリトクラシー) meritocracy】を批判しています。ただし、能力には、先天的な能力と後天的な能力があり、後天的な能力は個人の【努力 effort】によって育まれるので、この2つの能力を混同するのはフェアではありません。
「機会の平等」のメリットは、個人の努力で育んだ後天的な能力によって富を得ることができることです。一方、デメリットは、個人の努力と無関係な先天的な能力によって格差が発生し、基本的人権が侵害される可能性があることです。
「結果の平等」のメリットは、個人の努力と無関係な先天的な能力による格差が発生しないことです。一方、デメリットは、個人の努力で育んだ後天的な能力によって富を得ることができないことです。このとき、努力のインセンティヴはなくなり、社会の成長は抑制されます。努力しない個人は努力する個人から富を搾取することになります。
このように定義によって大きく異なる「平等」という概念を、ことわりもなく絶対善として振りかざし、言説の根拠とすることは妥当ではありません。
ちなみに、サンデルは、「機会の平等」「結果の平等」の間に、労働の尊厳と市民的連帯の下に競争環境を平等化する【条件の平等 equality of condition】を提唱しています。これは、尊厳ある暮らしを大前提に生活の質と社会的評価を平等にするものです。
次に「公平に訴える論証」とは、曖昧な概念である【公平 equity】【不公平 inequity】を根拠にすることで言説の真偽の判断を操作するものです。
先述した「平等」と混同されやすい概念として【公平 equity】【公正 justice】があります。それぞれの定義は次の通りです。
平等 equality:個人がもつ能力・資源の差に関係なく、すべての個人に同じ権利・機会・資源が保障される状態
公平 equity:個人がもつ能力・資源の差を考慮して、それぞれの個人に必要な権利・機会・資源が保障される状態
公正 justice:個人がもつ能力・資源の差を考慮して、個人の権利・機会・資源に格差を生じさせない社会の構造が保障される状態
これらの概念はしばしば次の図のような例で説明されます(引用[Kirklees COUNCIL])。
例えば、すべての個人の教育費を無償化する【無償教育 free education】は「平等」にあたります。ただし、高等教育は義務ではないので、進学が必要ない人には教育費は配分されません。このことは「公平」にあたります。一方で、高等教育を受けていない人にも納税の義務があり、国家の裁量で税金が高等教育を受ける人のみに使われることになるので、これを「不平等」と考えることもできます。この問題の論点は、無償教育の目的とそれに対する国民のコンセンサスということになります。高等教育に限らず、誰もがニーズに応じた様々な教育を受けることができる「公正」な教育制度を構築することは理想ですが、この実現には一定の資源が必要であり、容易ではありません。
機会の妨げとなっている人種・肌の色・宗教・性別・国籍といった【属性 property】をもつ個人を優遇することで機会の平等を保障することを目的とする【アファーマティヴ・アクション affirmative action】は「公平」を目指すものです。ただし、合理的区別された属性による配分が個人の後天的な能力に優先することは【逆差別 reverse discrimination】に繋がる可能性があります。根源的な問題解決に必要なのは、属性に基づく配分で格差を解消するのではなく、属性に基づく社会環境の格差を解消することで後天的能力のみが関与する「公正」な機会を実現することです。
能力には先天的な要素と後天的な要素があることから、能力主義は正義とはいえず、社会を支える様々な労働に対する尊厳を、社会の構成員が共有することが重要です。人間社会が目指すべき最終ゴールは、政府が権利・機会・資源を「平等」あるいは「公平」に配分する共同体ではなく、個人の尊厳を互いに認め合って共生する社会システムをもつ「公正」な共同体です。
前提の言説Spは平等/不平等なので、結論の言説Scは真/偽である。
前提の言説Spは公平/不公平なので、結論の言説Scは真/偽である。
※ここで、平等/不平等、公平/不公平の定義が曖昧なので、結論の言説の真偽は一意に定まらない。
<例>
<例1>
男性:私はトランスジェンダーで性自認は女性だ。私が女子トイレを使うのは平等だ。
<例2>
男子生徒:なぜ学校は生理用品を女子だけに配るのですか?不平等です。
<例1>の男性が主張する「平等」は、法の下の平等の例外として認められている合理的区別(正当な理由に基づく区別)を無視しています。不特定多数が使用する施設において性自認が認められるか否かは個別の事情によって判断されます。また、<例2>の男子生徒が主張する「不平等」についても合理的区別を無視しています。男子生徒には必要がない生理用品を男子生徒に配らないという措置は「公平」にあたります。
<事例>
<事例a>TBS「報道特集」 2021/11/21
金平茂紀氏:この間の総選挙で落選した辻元清美さんと話をしたのですけれども、稲田議員と同じことを言っていました。「とにかくクオータ制を日本に絶対導入しなければダメだ」と。「それは女性を優遇するという意味ではなくて、スタートラインをまず平等にしなければいけないんだ」と。国会をフェアにするという意味では、辻元さんの言う通りだと思いますね。
グループの人員を選定する際に性別や人種などの特定の属性に一定の人数を強制的に割り当てる【クオータ制 quota system】は、積極的に格差の是正を行うアファーマティヴ・アクションの一つの手法です。この制度により、性別間や人種間の構造的な格差を取り除く実質的平等(結果の平等)を実現できますが、その一方で、属性を根拠に形式的平等(機会の平等)を阻害する逆差別を生む可能性があります。つまり、スタートラインを平等にする過程でアファーマティヴ・アクションを用いれば、合理的区別という名の下に、逆差別という不平等を犯す可能性が常に存在するわけです。また、合理的区別した属性に対して、差別による格差を定量的に是正するのは容易ではありません。金平氏の主張自体はけっして誤りではありませんが、政治的な「公平」が求められるテレビ放送においては、両論併記するのがフェアであると考えられます。
<事例b>参・法務委員会 2024/06/01
福島みずほ議員:同性愛者を法律婚制度の利用から排除することで、大きな格差を生じさせ、合理性が揺らぎ、もはや無視できない状況になっている。同性カップルが国の制度で公証されたとしても、国民へ具体的な不利益は考え難い。伝統的な家族観を重視する国民との間でも共存する道を探ることはできるはずだ。法律婚制度に付与されている効果を同性間に認めても弊害がないと理解できる。莫大な数の同性カップルが長期にわたって利益の享受を妨げられ、それを正当化するだけの反対利益が十分に観念し難いことからすると、現状を放置するのは国会の立法裁量の範囲を超えると見ざるを得ない。憲法二十四条二項、違反すると明言しています。そして、法の下の平等、十四条一項。国会の立法裁量の範囲を超え、その限度で、憲法十四条一項にも違反する。立法裁量を超えているんだ、もうやれ、やりなさいと、ここまで言われているんですね。大臣、同性婚、認めるべきじゃないですか。
日本国憲法二十四条二項には「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と定められており、憲法十四条一項には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定められています。
「法の下の平等」において、全ての国民にこれらの条文は保障されなければなりませんが、憲法第二十四条一項には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定められています。ここでいう「両性の合意」とは、憲法の英語版で”the mutual consent of both sexes”と明記されており、一意に「男女の合意」を意味します。つまり憲法は、男女による【異性婚 heterosexual marriage】を「合理的区別」と考えることで婚姻を定義していて、同性による【同性婚 same-sex marriage】は想定外ということになります。ここに、婚姻の目的はいずれの法律にも明文化されていないため、三権はこの合理的区別を受け入れざるを得ません。
福島議員がこの問題を本気で解決したいのであれば、憲法を改正するしか方法はありません。なお、現状において、同性カップルは、法的に「婚姻」することはできませんが、個人の認識である「結婚」を宣言するのは自由です。また、憲法二十四条二項を保障すべく同性カップルを支援するパートナーシップ制度が、既に500を超える自治体で導入されており、人口のカバー率は9割を超えています。パートナーシップ制度は「公平」を目指す制度です。この制度によってパートナーの関係は公証されるので、男女間の「事実婚」よりも得られる権利は多いといえます。
<事例c1>時事通信 2025/12/11
<消費税5%、立民有志が骨子 富裕層へ課税強化、野党連携促す>
立憲民主党の有志議員による勉強会「不公平税制の抜本改革で消費減税の財源をつくる会」(会長・江田憲司元代表代行)は11日、国会内で会合を開き、来年10月から当分の間、消費税率を一律5%へ引き下げる法案の骨子案をまとめた。大企業や富裕層への課税強化により財源を捻出する。近く執行部に提言する。財源確保の具体策としては、所得税の最高税率引き上げや法人税、金融所得課税の見直しなどを盛り込んだ。野党の多くが消費税減税を主張していることを踏まえ、野党連携を促進するのが狙い。
<事例c2>時事通信 2025/12/16
<立民有志、消費税5%を提言 江田氏「野党連携進める」>
立憲民主党の有志議員による勉強会「不公平税制の抜本改革で消費減税の財源をつくる会」(会長・江田憲司元代表代行)は16日、先にまとめた消費税率を一律5%へ引き下げる法案の骨子案を野田佳彦代表に提出した。次期衆院選の公約作成の際に議論の俎上(そじょう)に載せるよう求めた。多くの野党が消費税減税を主張していることを踏まえ、野党連携につなげる狙いがある。
与野党のポピュリズム合戦の共通テーマとなっている消費税減税は、不公平税制をさらに拡大し、格差を拡大するものです。
富を多く得る者ほど課税される所得税と同様、消費税も富を多く使う者ほど課税される税制です。つまり消費税を減税すると、富を多く使う者ほど大きな恩恵を受けることになります。ちなみに、富を多く使う者は、必ずしも富を多く得る者ではありません。一般に富を多く使う者は、所得に資産(資源)を加えた富を多く持つ者です。消費税減税の財源を所得税増税に求めるのは、資産を持つ者に有利で資産を持たないものに不利な「不平等」で「不公平」な税制となります。年代で言えば、高齢者に有利で若者に不利となります。
消費税減税よりも平等な支援策が給付金です。富の多少にかかわらず国民一律に一定額を給付するので、少なくとも貧富による不平等を解消することができます。ただし、その財源を所得税増税に求める場合、個人の努力のインセンティヴが大きく低下し、社会の成長が抑制されることに繋がりかねません。この場合には「平等」で「不公平」な税制となります。
このような状況において、池田信夫氏は、負の所得税(税額控除の応用)と消費税増税を組み合わせた財政に中立な税制を提案しています。
これは富める人の職業意欲(努力のインセンティヴ)を削ぐことなく貧しい人を合理的に助ける「公平」な税制です。最低生活水準の金額を基準所得とすれば、社会保障を税制に統合できます。
なお、「公正」な税制を実現するには、テクノロジーの発展によって財の生産に対する経済的負担が必要なくなる【脱希少性経済 post-scarcity】を実現することが前提となります。このゴールに到達するのは容易ではありませんが、旧石器・新石器革命・都市革命・産業革命・情報革命と続く人類の進歩は、着実に脱希少性経済の実現へと向かっています。
