情報操作と詭弁ー論点の誤謬

立証責任の転嫁

情報操作と詭弁論点の誤謬論点相違立証責任の転嫁

立証責任の転嫁

Shifting of the burden of proof

自説を立証することなくその反証を論敵に求めて否定する

<説明>

「立証責任の転嫁」とは、論者が立証を必要とする自説を立証するのを怠って、論敵に自説の反証を求め、反証できない場合に自説が立証されたと主張する【論点相違】の誤謬です。自説の立証責任は論者自身にあり、その言説を否定する論敵に立証責任はありません。司法においても、立証責任は「権利を求める」あるいは「権利を奪う」立場である請求側が負い、被請求側に立証責任はありません。

そもそも自説の立証を怠るのは言論ではなく、自説の反証を論敵に求めるのは、多くの場合に「ない」ことを証明させる【悪魔の証明】になります。被請求者が「ない」ことを証明するには、ありとあらゆる可能性を永遠に枚挙していくしかありません。

また反証不可能 unfalsifiableな言説、つまり非科学的な言説の立証責任を転嫁すれば、非科学的な言説を必ず証明できることになります。

誤謬の形式

論者Aが正当な根拠なく必要な言説SAを真であると主張する。
論者Aが論者Bに言説SAの反証を求める。
論者Bは反証しない。
論者Aは論者Bが反証しないことを根拠に言説SAを真と主張する

<例>

<例1>

A:お前が犯人だ。
B:違うよ
A:違うなら反証してみろよ。
B:…
A:ほらね。反証できないだろ。お前が犯人だ。

<例2>

A:幽霊は存在するはずだ。
B:ホントかなぁ?
A:疑うなら反証してみろよ。
B:…
A:ほらね。反証できないだろ。幽霊は存在するんだよ。

BがAの自説を反証する責任はありません。その立証責任はAにあります。

<事例1>疑惑はますます深まった

<事例1a>TBSテレビ『サンデーモーニング』2017/04/30

■森友問題が再燃 財務省「特例」発言は?

青木理氏:安倍氏は「私や妻が何らかの形で関わっていたら私は首相も議員も辞める」と言っている。ということは安倍氏がやることは2つだ。1つは辞めるか、もう一つは、そうじゃないのだったら、財務省に指示をして、そうじゃないという反証をきちんとすることの2つしかない。どちらもやらないのは僕はどう考えても納得できない。

「そうじゃないのだったら、そうじゃない反証をきちんとする」の対偶は「そうじゃないという反証をきちんとしなければ、そうじゃなくない(そうだ)」となります。これは典型的な「立証責任の転嫁」です。首相を辞めさせる請求者の立場から発言している青木氏は、自分が果たさなければならない立証責任を被請求者の安倍首相に負わせようとしました。安倍首相が自分が関わっていないことを証明するには、ありとあらゆる可能性を永遠に枚挙していくしかありません。こんな暴力的で幼稚なジャーナリズムが白昼堂々とまかり通る日本社会は深刻なまでに非論理的です。

<事例1b>参・本会議 2017/06/14

神本美恵子議員(民進党):国会の審議が進むにつれて、加計学園に対する疑惑がますます深まっています。前川前文部科学事務次官の告発や現職官僚の内部告発、そして情報公開請求により出されてきた今治市の資料、これらを調べれば調べるほど、加計学園ありきだったことが明らかになってきています。本来であれば総理自らが出席してその疑いを晴らすべきですが、今国会で党首討論が一度も行われていないことから明らかなように、安倍総理は説明責任を果たしていません。このような総理の態度を断じて許すことはできませんし、予算委員会での集中審議や党首討論を求めていきたいと考えます。

<事例1c>参・文教科学委員会、内閣委員会連合審査会 2017/07/10

蓮舫議員(民進党):前川参考人、教えていただきたいんですが、前川参考人が確実に見たと言っているものを、こうして政府の方たちあるいは発言をされたと言われる方たちがことごとく記憶にない、存在が確認できなかった、これはなぜなんでしょうか。そんなに文科省の文書管理というのはずさんなんですか。

前川喜平参考人:探せば出てくる文書だと私は思っております。

蓮舫議員:菅官房長官、丁寧に説明をするという姿勢に私たちは期待を申し上げたいと思います。今言っているところ、まだ探せるかもしれない、探したら出てくるかもしれません。再々調査を指示したらいかがでしょうか。

松野博一文科大臣:前回の追加調査において十分に合理的な範囲における調査がなされたと考えております。

蓮舫議員:しないということと受け止めました。極めて、その疑惑解明に向けて前向きな姿勢でないというのが非常に残念です。むしろ隠したいことが何かあるんではないかと疑われてしまうので、非常に残念な答弁です。

モリカケ問題において、疑惑の立証責任がある請求者の野党は、疑惑の立証責任を怠り、「ないこと」の証明である「悪魔の証明」を立証責任がない被請求者の政府に求め、政府が可能な限りの調査を行っても、「そんなわけがない」「疑惑がますます深まった」という言葉で政府を非難しました。ここに、「悪魔の証明」は証明不可能なので、必ず結論は「疑惑がますます深まった」になります。多くの日本国民は、このカラクリに見事に騙されたのです。

<事例1d>中日新聞 2020/08/29

■森友、加計、桜…説明責任置き去り

学校法人「森友学園」に国有地が格安で売却された問題では、首相の妻・昭恵氏による値引きの関与が疑われた。加計学園の獣医学部新設では「首相の意向」で長年の友人が理事長を務める同学園が選ばれた疑念が持たれた。桜を見る会には首相の地元後援会の関係者が多数招かれ、開催費用が年々膨らんだ。いずれの問題も、政府は事実確認に必要な公文書を短期間で廃棄したと説明した。このため、首相は国会で疑惑を否定したが裏付けは示さなかった。

<事例1e>朝日新聞社説 2020/09/04

■森友・加計・桜 説明なき退陣ありえぬ

退陣するのだから、もういいだろう。安倍首相がそう考えているなら大きな間違いだ。森友学園、加計学園、桜を見る会をめぐる疑惑である。首相は何度も「丁寧に説明する」と言った。だが結局、口先だけだった。このまま追及に背を向け続けることなど許されるはずがない。(中略)首相を退いても、政治家として、説明責任がなくなるわけではない。野党が国会招致を求め続けた妻の昭恵氏や、加計学園の理事長らと記者会見をしたらどうか。

モリカケ問題においては、マスメディアも「立証責任の転嫁」に終始しました。他者に「悪魔の証明」を求め、その証明ができないことを非難するというのは、究極のモラル・ハラスメントです。

<事例2>「旧統一教会と自民党の関係」報道

<事例2a>朝日新聞 2022/07/22

■(社説)旧統一教会 政治との関わり解明を

選挙活動の組織的支援や政策への介入など、教団と政界の関係は種々取りざたされる。岸信介元首相以来の付き合いといわれる自民をはじめ、各党・各議員は自ら調査し、結果を国民に明らかにする必要がある。

旧統一教会と政治の関りという論点について、追及側の朝日新聞は「何が問題であるか」を明示することなく事実の立証責任を被追及側の政治家に丸投げしました。これはモリカケと同じ構造であり、マスメディアのモラル・ハラスメントと言えます。この「立証責任の転嫁」が認められた場合、政治家の挙証に対して不十分と主張しさえすれば、際限なく永遠に「疑惑はますます深まった」と言い続けることができるのです。

<事例2b>朝日新聞 2022/08/03

■(社説)旧統一教会 自民は実態調べ決別を

あきれた発言は、別の党幹部からもあった。福田達夫総務会長の「何が問題か分からない」である。福田氏は「問題」を、教団の影響力で政治が動かされることととらえ、それは「一切ない」と語った。本当に党の政策に影響がないのかは別途、検証を求めたいが、政治家との親密な関係が教団のPRとなり、被害の拡大につながっているとの批判に思いは至らなかったのか。その日の夜に、「社会的に問題が指摘される団体との関係が問題であることは、言うまでもない」と釈明する文書を出したが、政治家としての資質が問われる。

「何が問題であるか」を明示しなかった朝日新聞は、福田氏の「何が問題か分からない」発言を罵倒しました。日本国憲法下において、宗教教団との関係で政治家に禁じられているのは、政治家がその特権を利用して特定の教団に便宜を図ることのみであり、福田氏の発言は至極妥当です。朝日新聞の「政治家との親密な関係が教団のPRとなり、被害の拡大につながっている」という言説の立証責任は、政治家ではなく朝日新聞にあります。「社会的に問題が指摘される団体」という言説の立証責任も、それを問題視する朝日新聞にあります。資質が問われているのは政治家ではなくマスメディアです。

<事例2c>東京スポーツ 2022/08/21

■宮根誠司 萩生田氏と旧統一教会〝ズブズブ〟音声に「もう切れないですよ、関係」

宮根は「今取材を見ていて、地方議員の時から応援してもらって、国会議員になってそこでも応援してもらってたら、もう切れないですよ、関係」と露骨にあきれ顔。続けて「萩生田さんにしても『反省する』だとか、国会議員にしても『一線を画す』というようなことをおっしゃりますけど、一番政治家の方に欠けてるのは、じゃあなんでこの問題が大きくなったときに旧統一教会の『どこが問題なので、一線を画すのか?』『点検をするのか?』っていう、『何が問題』を誰もおっしゃらない」と嘆いた。

旧統一教会の『どこが問題なので、一線を画すのか?』『点検をするのか?』という『何が問題』を明示する必要があるのは、この問題で追求されている政治家ではなく、この問題で追及している宮根氏です。最低限の論理も知らずに政治家を悪魔化するのは、言葉の暴力以外の何物でもありません。むしろこの「問題」の問題は、法治国家において何が法的に問題であるかを言わずに政治家を魔女狩りしているマスメディアにあります。少なくともマスメディアは、すべての主張の大前提となってる「旧統一教会は反社会団体である」という言説を法的に立証することが必要です。