情報操作と詭弁ー論点の誤謬

具体化の誤謬

情報操作と詭弁論点の誤謬論点混同具体化の誤謬

具体化の誤謬

Reification / Fallacy of misplaced concreteness

抽象的概念を具体的現実と混同する

<説明>

「具体化の誤謬」とは、抽象的概念を具体的現実と混同して結論を導くものです。帰納推論によって導かれた抽象的概念が現実と乖離していることはよくあることですが、詭弁を使うマニピュレーターは、この混同につけこんで、前提を意図的に解釈することで自分にとって好都合な結論を導きます。

誤謬の形式

抽象的概念Caは具体的現実Rcを表している。

<例>

外国人旅行客:日本人は誰もが日本語を話しますね。
日本人ガイド:そのとおりです。

【抽象化 abstraction】とは、説明しようとする対象の具体的概念から様々な要素を抜き取って特定の概念のみを抽出することで論点を明確化することです。この抽象化された概念が抽象的概念です。一方、【具体化 concretization】とは、対象の抽象的概念に様々な要素を加えていき、対象をより詳しく説明することです。

上記の例のように、ある訪日外国人が日本人を具体的に観察して「日本人は誰もが日本語を話す」という抽象的な結論を得たとします。しかしながら、これはあくまで【帰納推論 inductive reasoning】であり、必ずしも妥当とは限りません。このケースでは「訪日外国人が観察した日本人」が全員日本語を話していたのであって、例えば、外国で生まれた日本人は必ずしも日本語を話すとは限りませんし、生まれたての日本人の赤ちゃんも日本語を話しません。このように、抽象化して得られた結論は、それを具体化した場合に正しいとは限らないのです。

<事例1>憲法自衛隊明記

<事例1a>日本国憲法・戦争の放棄 1947/05/03

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。よ。

<事例1b>「憲法第九条改正反対に関する請願」 2007/05/17

福島みずほ議員(社民党):日本国民は、第二次世界大戦の悲惨な結末に学び、日本国憲法で、恒久平和を宣言した。その核心は、第九条第二項であり、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と明記している点である。今、憲法改正が論議されている。自民党の改正草案では、戦争はしないとしながら、国際貢献を口実に、軍隊を持ち、海外で武力行使ができるように改正するとしている。イラクの現実を見れば、現在は武力の行使をしない支援にとどまっているが、改正されれば、アメリカの戦争に日本が武力行使を前提とした軍隊を派遣して加担することになるのは明らかである。憲法第九条は、時代遅れどころか、戦争のない世界を築く最も確かな保証であり、むしろ全世界に広げていかなければならない。ついては、次の事項について実現を図られたい。

一、憲法第九条を改正しないこと。

<事例1c>立憲民主党「憲法に関する考え方」2018/07/19

現行の憲法9条を残し、自衛隊を明記する規定を追加することには、以下の理由により反対する。

1 「後法は前法に優越する」という法解釈の基本原則により、9条1項2項の規定が空文化する。この場合、自衛隊の権限は法律に委ねられ、憲法上は、いわゆるフルスペックの集団的自衛権行使が可能となりかねない。これでは、専守防衛を旨とした平和主義という日本国憲法の基本原理が覆る。

2 現在の安全保障法制を前提に自衛隊を明記すれば、少なくとも集団的自衛権の一部行使容認を追認することになる。集団的自衛権の行使要件は、広範かつ曖昧であり、専守防衛を旨とした平和主義という日本国憲法の基本原理に反する

3 権力が立憲主義に反しても、事後的に追認することで正当化される前例となり、権力を拘束するという立憲主義そのものが空洞化する。

日本国憲法では、国際紛争を解決する手段としての(1)国権の発動たる戦争(いわゆる戦争)と(2)武力の威嚇または行使の放棄を宣言しています。ここに国際紛争を解決する手段とは【侵略戦争 war of aggression】のことであり、【自衛戦争 defensive war】および【制裁戦争 sanctions war】については放棄していないというのが昭和29年の鳩山内閣以来の政府解釈です。

つまり「戦争放棄」というのは、9条で宣言する「侵略戦争放棄」から「侵略」を取り除いた抽象的概念であり、この言葉を具体化して「自衛戦争放棄」と「制裁戦争放棄」も含んでいると主張するのは、抽象的概念を具体的現実と混同する具体化の誤謬に他なりません。

政府見解によれば、自衛隊は、日本国憲法が国民に保障する自由権と社会権(生存権)を他国の侵害から守る権利(これは通常「自衛権」と呼ばれます)を確保する目的において必要最小限度の武力行使を許容された実力組織(暴力装置)です。当然のことながら、福島みずほ議員や立憲民主党が主張するような、自衛隊の憲法明記によってその実体を超法規的に変更できる可能性は、法の支配が厳格化されている民主主義国家の日本ではゼロです。

その一方で、この憲法の根幹に影響を及ぼすことが可能な自衛隊という実力組織は、現時点では憲法に明記されずに、その指揮・監督権は総理大臣に委ねられています。すなわち、日本の自衛隊は、憲法の下では国民の統制下にはなく、自衛隊法の下で国民の代表の統制下にあるのです。このことは、主権者である国民と国民の代表の関係を規定する憲法の効力を害する可能性がある不自然な状態にあり、主権者である国民が実力組織を支配する【シビリアン・コントロール civilian control】を一部否定するものに他なりません。曖昧な抽象的概念を振りかざす妄想で具体的事実を否定し、国民の主権を侵しているのは、福島みずほ議員と立憲民主党の方です。

なお、近隣という地理的空間の近さに関係なく集団的自衛権を発動すること、および世界平和目的で集団安全保障に参加することは、国民の自由権と社会権を保障する日本国憲法の基本原理に従う合理的な行動です。

<事例2>友愛による安全保障

<事例2>参・本会議2010/04/23

鳩山由紀夫内閣総理大臣:人間の安全保障に関しては、日本の外交政策の柱の一つでございまして、重視をいたしております。自分としては、昨年の国連の総会の一般討論演説におきましても、「友愛の理念によって支え合う安全保障」というものの重要性が大事だと、このことを実現することこそが人類を救う道であるということを述べて、その推進を表明してきたところでございます。

鳩山総理は「友愛の理念」という抽象的概念を具体的現実と混同し、防衛装備品等の物理的実態を伴う安全保障を支えられるかのように主張しています。当然のことながら「友愛」とは検証不可能な人間の内心であり、「友愛の理念によって支え合う安全保障」とは単なる口約束に過ぎません。このような口約束の安全保障は「保障」ではなく、有事に国民を路頭に迷わせることにつながりかねません。ちなみに、米国が東日本大震災の際に「トモダチ作戦」で日本を大々的に支援したのは、自国の利益になる「同盟国」を支援したのであって、純粋な「友愛の理念」だけで支援したわけでないことは自明です。

<事例3>コロナに対する気の緩み

<事例3a>朝日新聞 2021/03/16

〔緊急事態が「日常」になってしまった〕
新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言の期限が21日に迫る中、東京都内の新規感染者数が再び増加に転じている。(中略)都内の新規感染者数は2月25日ごろから、下げ止まりの傾向が顕著になった。その後、250~270人台で推移してきた週平均の感染者数は、3月9日から増加傾向が続き、15日時点で287・6人に。1週間前よりも34・2人増で、前週比は113・5%で、2月以降初めて1割以上の増加となった。感染状況の悪化とともに、データから垣間見えるのは「気の緩み」だ。8日までの1週間で感染経路別の割合をみると、会食が前週の3・8%から4・5%、接待を伴う飲食が前週の0・9%から1・8%と微増。12日の都のモニタリング会議では、専門家から「一部の繁華街では1月8日の宣言発出直後よりも人の流れが増加している」との指摘が出た。

<事例3b>読売新聞社説 2021/07/31

〔緊急事態拡大 緩みは五輪のせいではない〕
気がかりなのは、新型コロナの感染状況だ。国内の新規感染者数は過去最多を更新した。緊急事態宣言の対象は埼玉、千葉、神奈川、大阪の4府県にも拡大され、期間も8月末までとなった。度重なる緊急事態宣言による自粛の緩みやワクチン接種の遅れに加え、感染しても重症化しないと安易に考える若者が増加していることも問題だ。一部には、こうした感染拡大と五輪開催を結びつける意見があるが、筋違いだろう。今大会は、感染防止を最優先に、大半が無観客で開催されている。これまで、競技会場や選手村で大きな集団感染は起きていない。無観客という苦渋の選択が奏功していると言えよう。選手らは、競技会場や選手村などの決められた場所だけを移動するという厳しい制限の中、全力で競技に臨んでいる。もとより感染防止策をさらに徹底させる努力は必要だが、拡大の原因を五輪に求めるのは、選手たちにも失礼ではないか。大会は後半戦に入る。今後も移動制限などを徹底し、五輪の会場や施設から感染を広げることがないようにしてもらいたい。

<事例3c>東京新聞 2021/08/04

〔尾身会長、五輪開催が気の緩みに「影響与えた」〕
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は4日の衆院厚生労働委員会で、感染の急拡大について「オリンピックをやるということが人々の意識に与えた影響はある。われわれ専門家の考えだ」と述べ、五輪開催が気の緩みに影響しているとの認識を示した。(中略)さらに「政治のリーダーのメッセージが、必ずしも一体感のある強い明確なメッセージではなかった」と指摘した。さらに「気持ちの上で限界。しかも夏休みで、お盆があり、連休があり、五輪がある」と影響を指摘した。

コロナの専門家とマスメディアは、検証不可能な「気の緩み」なる抽象的概念をコロナ感染という物理的現象の要因と特定し、「気の緩み」に繋がる具体的事象を片っ端から挙げては、精緻な科学的検証を行うことなく、徹底的に悪魔化していきました。花見・春休み・連休・緊急事態宣言解除・夜の街・飲食・盆・帰省・GoTo事業・正月・五輪・学校など、枚挙にいとまがありませんでした。しかしながら、第5波の感染拡大に五輪が無関係であったこと、第5波の収束に人流が無関係であったことが判明すると、過去の検証もせずに沈黙を開始しました。無責任なものです。

<事例4>新しい資本主義

<事例4a>内閣官房ウェブサイト

〔新しい資本主義実現本部/新しい資本主義実現会議〕
「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」をコンセプトとした新しい資本主義を実現していくため、内閣に、新しい資本主義実現本部を設置しました。新しい資本主義の実現に向けたビジョンを示し、その具体化を進めるため、新しい資本主義実現会議を開催します。

<事例4b>NHK 2021/12/08

〔岸田首相 「新しい資本主義」を世界に発信 議論主導の考え示す〕
岸田総理大臣は国際社会の課題などを討議する会議にビデオメッセージを寄せ、これまでの新自由主義的な考えは多くの弊害も生んでいると指摘し、みずからが掲げる「新しい資本主義」を世界に発信し、主要国の首脳と議論を主導していく考えを示しました。(中略)来年の春に『新しい資本主義』のグランドデザインを世界に向けて発信し、主要国の首脳とともにグローバルの議論をけん引する」と述べました。

以上の事例を見れば、岸田首相が総裁選や衆院選で掲げた「新しい資本主義」という抽象的概念には、少なくとも何の具体性もなかったことがわかります(笑)。「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」は資本主義国家の政府として当然のミッションであり、その具体化がまだということは検証不可能な概念ということであり、本質的にはまったく意味のないスローガンであったということです。

<事例4c>産経新聞 2021/11/01

〔「新しい資本主義など評価」衆院選受け関西財界〕
与党が過半数の議席を確保した今回の衆院選の結果を受け、関西の財界3団体は相次ぎコメントを発表した。関西経済連合会の松本正義会長は「岸田政権が掲げる『新しい資本主義』の実現をはじめとする経済政策や、コロナ対策を国民が評価した」と述べ、「政府には感染症対策・医療体制の強化と、経済社会活動の活性化とを車の両輪として実施していただきたい」と要望した。

「分配の原資を稼ぎ出す成長と次の成長につながる分配を同時に進める」という当然の理念以外は何も具体化されていない政策を財界にまんまと評価させてしまうところは流石としか言いようがありません(笑)