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Appeal to contempt /appeal to ridicule
論敵への軽蔑感を根拠に論敵の言説を否定する
<説明>
「軽蔑に訴える論証」とは、軽蔑に値すると感じる論者の言説を否定する誤謬です。
[嫌悪に訴える論証]では、個人が他人に持つ負の感情として【不快 displeasure】【嫌悪 disgust】【軽蔑 comtempt】があり、その強い感情がそれぞれ、【怒り anger】【憎悪 hate】【差別 discrimination】であることを述べました。このうち「不快」は受動型の感情、「嫌悪」「軽蔑」は能動型の感情です。能動型の感情のうち「嫌悪」が相手と対等な関係を前提としている一方、「軽蔑」は相手を見下すことを前提としています。
軽蔑・差別の目的は、議論の余地なく相手の道徳的意志の劣等を確定して【拒絶 rejection】することです。特に差別は相手への恐怖に裏打ちされています。再チャレンジを認めない【キャンセル・カルチャー cancel culture】のメカニズムはここにあります。また、ライトな軽蔑表現として【嘲笑 ridicule】【冷笑 sneer】があり、「軽蔑に訴える論証」は「嘲笑に訴える論証」としばしば言い換えられます。
「軽蔑に訴える論証」は、「嫌悪に訴える論証」と同様、軽蔑に値すると感じる論者の言説を帰納的に否定するものです。しかしながらこのような直感による帰納推論の蓋然性は弱く、演繹推論として妥当ではありません。この論証は明白な誤謬です。
「軽蔑に訴える論証」は、論者が実際には軽蔑に値しない場合にも用いられます。そもそも、道徳的優位を確信することは簡単ではなく、個人が希求する【倫理 ethics】を社会の構成員が共通して希求する【道徳 morality】と混同して軽蔑する独りよがりのケースが多々あります。また、人種や性別など人間の属性に基づく差別は、その人の道徳的劣位を確定する行為であり、その行為自体が軽蔑に値します。
さらに近年の日本のマスメディアが主導する【言葉狩り kotobagari】による軽蔑は一種の【魔女狩り witch-hunt】と言えます。差別感情の研究者で哲学者の中島義道氏は「差別感情の強い人ほど正常と思われたい欲望を発揮し、自分の周囲に異常な人を嗅ぎつけ、括りだし、告発する」と述べています。言葉狩りは、攻撃対象の言葉を切り取り、アクロバティックな解釈を付与することで、攻撃対象を無理やり道徳的劣等者に仕立て上げて軽蔑するものです。言葉狩りをする人とそれに釣られる人たちは、自分たちこそ道徳的劣等者であり、軽蔑に値することを自覚する必要があります
A氏には軽蔑感があるので、A氏の言説は偽である。
<例1>
あいつは真面に挨拶もできない。あいつが言うことは全部デタラメだ。
挨拶ができない人の言うことが全部デタラメとは限りません。
<例2>
女に数学などできるわけがない。
これは属性で人を差別する行為であり、その行為自体が軽蔑に値するので、「軽蔑に訴える論証」自体が論理的に成立しません。
<例3>
野球評論家A:彼はプロ野球でも投手と打者の二刀流を続けるのが望ましい。
野球評論家B:プロで二刀流は無理(笑)。君は野球評論家として終わりだ。
これは「嘲笑に訴える論証」です。
<事例1>相当な劣化コピー
<事例>現代ビジネス 2017/02/21
青木理氏:(安倍晋三氏は、)失礼ながら、恐ろしくつまらない男だった。少なくとも、ノンフィクションライターの琴線をくすぐるようなエピソードはほとんど持ち合わせていない男だった。誤解してほしくないのだが、決して悪人でもなければ、稀代の策略家でもなければ、根っからの右派思想の持ち主でもない。むしろ極めて凡庸で、なんの変哲もなく、可もなく不可もなく、あえて評するなら、ごくごく育ちのいいおぼっちゃまにすぎなかった。
言葉を変えるなら、内側から溢れ出るような志を抱いて政治を目指した男ではまったくない。名門の政治一家にたまたま生を受け、その“運命”やら“宿命”やらといった外的要因によって政界に迷い込み、与えられた役割をなんとか無難に、できるならば見事に演じ切りたいと思っている世襲政治家。
その規範を母方の祖父に求めているにせよ、基礎的な教養の面でも、政治思想の面でも、政治的な幅の広さや眼力の面でも、実際は相当な劣化コピーと評するほかはない。
だからこそ、逆に不気味で薄ら寒い日本政治の現在図が浮かびあがってくる。このような男が政界の階段をあっという間に駆け上がり、父方の祖父も父も射止められなかった宰相の座をやすやすと射止め、しかも「歴史的」な長期政権を成し遂げつつあるのはなぜか。戦後70年、営々と積み重ねてきた矜持が、劣化コピーのごとき世襲政治家の後づけ的思想によって次々と覆されてしまっているのはいったいなぜか。
政権や政権の主ばかりを批判していてもどこか詮無い。課題や問題を抱えているのは、政治や政権の側ではなく、むしろそんな為政者を戴いてしまい、「歴史的」などと評される執権を許してしまう日本政治のシステムと日本社会の側にあるのではないか―それが1年以上にわたる取材を終えた私の感慨である。
青木理氏は、主観を根拠として、安倍晋三氏を「恐ろしくつまらない男」と上から目線で軽蔑し、「基礎的な教養の面でも、政治思想の面でも、政治的な幅の広さや眼力の面でも、実際は相当な劣化コピー」と罵っています。これは、かなり悪質な「軽蔑に訴える論証」です。
<事例2>サル・蛮族の行為
<事例>NHK 2023/03/29
参議院の憲法審査会での議論をめぐって、野党側の筆頭幹事を務める立憲民主党の小西洋之議員は「審査会の毎週開催はサルがやることで、蛮族の行為だ」と述べました。
(中略)
幹事懇談会のあと、野党側の筆頭幹事を務める立憲民主党の小西洋之議員は、記者団に対し「参議院では、毎週開催はやらない。毎週開催は、憲法のことを考えないサルがやることだ。何も考えていない人たち、蛮族の行為で、野蛮だ」と述べました。
そのうえで「憲法をまじめに議論しようとしたら、毎週開催はできるわけがない。衆議院の憲法審査会は、誰かに書いてもらった原稿を読んでいるだけだ」と述べました。
立憲民主党の小西洋之議員は、憲法審査会を毎週開催することは、憲法のことを考えないサル・蛮族の行為で野蛮であるので、参議院では毎週開催しないと周辺へ理解を求めました。これは、かなり下品な「軽蔑に訴える論証」です。