イントロダクション

セクシュアリティ

【セクシュアリティ sexuality】とは、生物の性の形を記述する総合的概念です。近年では人間のセクシュアリティに関連して様々な社会的問題が発生しており、その科学的理解が求められています。ここでは、社会的な議論にあたって最低限必要となる各種概念について簡潔に説明した上で社会的な論点について整理したいと思います。

性の種類

性の種類としては【生物学的性 sex】【社会的性gender】があります。

<性の種類>

  • 生物学的性 sex
    人間は生物学的性(体の性)を持ち、【有性生殖 sexual reproduction】を行うことで多様な形質を持つ子孫を残します。生物学的性を区分する固有のカテゴリー(性別)としては【男性 male】【女性 female】があります。また、両者の形質が認められる場合を【間性=インターセックス intersex】と言います。
  • 社会的性 gender
    個人の集合体である人間の社会はステレオタイプな「男らしさ」「女らしさ」という【性役割 gender role】を共通の認識にしてきました。このような性役割に対応した性を社会的性(心の性)と言います。社会的性を区分する固有のカテゴリー(性別)としては、【男性 male】【女性 female】の他に、男女の両方であると認識する【両性 bigender】、男女の中間であると認識する【中性 androgyny】、時によって男/女である認識が変化する【不定性 genderfluid】、男女のいずれでもないと認識する【無性 agender】(和製英語の「Xジェンダー」のこと)があります。

生物学的性は、医学による区分が可能な属性ですが、社会的性は、個人が属する社会がもつ性役割の認識に依存します。人間が性役割を身に付けるメカニズムは、周囲の男女を観察する【社会的学習理論 social learning theory】、自分の行動に対する周囲の反応や身体的特徴を認識する【認知発達理論 cognitive developmental theory】、同性の親と自分を同一視して模倣する【精神分析理論 psychoanalytic theory】、「男らしさ」「女らしさ」の知識を蓄積する【ジェンダー・スキーマ理論 gender schema theory】などにより説明されます。

性の特性とセクシュアリティ

このような生物学的性と社会的性に基づく性の特性には、【性徴 sex characteristic】【ジェンダー・アイデンティティ gender identity】【性表現 gender expression】【性的指向 sexual orientation】の4つがあります[ジョグジャカルタ原則]

<性の特性>

  • 性徴 sex characteristic
    生物学的性に特有な身体的な性差を性徴と言います。性徴には、性器・生殖器官・染色体・ホルモンなどの性差が出生時に現れる【第一次性徴 primary sex characteristic】と、筋肉量・体毛分布・胸部膨らみなどの性差が発達時に現れる【第二次性徴 secondary sex characteristic】があります。
  • ジェンダー・アイデンティティ gender identity
    各個人は生物学的性とは別に自分の社会的性を識別(性自認)します。同時に各個人の集合体である社会も特定の個人の社会的性を識別(性識別)します。このように個人の社会的性を識別することをジェンダー・アイデンティティと言います。ここに、生物学的性と社会的性が一致する人を【シスジェンダー cisgender】、一致しない人を【トランスジェンダー transgender】と言います。
  • 性表現 gender expression
    内面的な「男らしさ」「女らしさ」を自己認識して社会的性を選択するジェンダー・アイデンティティに対し、外形的な「男らしさ」「女らしさ」を示す言葉表現(ボク/アタクシ)・服装表現(ズボン/スカート)・顔表現(ノーメイク/化粧)などを性表現(表現する性)と言います。ジェンダー・アイデンティティの性別と性表現の性別は必ずしも一致しません。この一致しない人を【クロス・ドレッサー cross dresser】と言います。
  • 性的指向 sexual orientation
    各個人が性的魅力を感じる生物学的性あるいは社会的性の組み合わせパターンのことを性的指向(好きになる性)と言います。性的指向のカテゴリーとしては、異性を欲する【異性愛=ヘテロセクシュアル heterosexual】、同性を欲する【同性愛=ホモセクシュアル homosexual】、異性及び同性の両性を欲する【両性愛=バイセクシュアル bisexual】、2種以上の多様な性を欲する【多性愛 pansexual】、性と無関係に人を欲する【全性愛 polysexual】、人を欲しない【無性愛 asexual】等があります。ここに、男性の同性愛者を【ゲイ gay】、女性の同性愛者を【レズビアン lesbian】と言います。なお、性的指向は、好きになる性を個人が自発的に選択できないとする立場の概念ですが、これに対して、好きになる性を個人が自発的に選択できるとする立場の概念を【性的嗜好 sexual preference】と言います。特異な性的嗜好を持つ人を【キンク kink】と言います

セクシュアリティとは、これら4つの特性要素の組み合わせによって個人の性を特性化したものです。このうちジェンダー・アイデンティティ(GI)と性的指向(SO)は議論の対象になりやすく2つ合わせて【SOGI】と言います。

ここで、性徴(生物学的性)とジェンダー・アイデンティティ(社会的性)と性表現の性別が一致すると同時に異性愛を指向するセクシュアリティをもつ個人の集団は、社会の大半を占める【性的多数派/性的マジョリティ sexual minority】であり、これ以外のセクシュアリティをもつ【LGBT=Lesbian, Gay, Bisexual, and Transgender】などの個人は【性的少数者/性的マイノリティ sexual minority】です。

また、ジェンダー・アイデンティティと性的指向を選択できない個人を【クエスチョニング questioning】と言い、さらに、男女二元論による枠組みに属することができない個人を【クィア questioning/queer】と言います。LGBTにクエスチョニングとクィアを加えた性的少数者は【LGBTQ】あるいは【LGBTQ+】と呼ばれます。さらにインターセックス、アセクシュアル、パンセクシュアル、キンクを加えたものは【LGBTQIAPK】と呼ばれています。Aには性的マイノリティの支援者である【アライ Ally】も含まれるとされています。

なお、ジェンダー・アイデンティティは、日本では「性自認」「性同一性」と訳されてきましたが、まず「性自認」という用語は必ずしも正確ではありません。個人における「アイデンティティ」は個人が自由に主観的に決定するものですが、社会に対して何かしらの権利(後述する積極的自由など)を主張する根拠としての「アイデンティティ」には一定の客観性が必要です[Akeel Bilgrami]。その意味で「性自認」という用語はミスリードを含んでいます。またアイデンティティの存在とその定常性を示唆する「性同一性」は次に説明するセクシュアリティの曖昧性と非定常性の観点からすると、実態を反映していません。

ちなみに【性同一性障害 gender identity disorder: GID】は、生物学的性と一致しない社会的性をもつ個人が、その不一致が原因で苦しむ障害です。性同一性障害=トランスジェンダーではありません。生物学的性と社会的性の不一致を悩まない場合には障害とは言いません。

セクシュアリティの曖昧性と非定常性

人間のセクシュアリティを理解する上で極めて重要な概念が【セクシュアリティの曖昧性 sexual ambiguityです。セクシュアリティの各特性要素のうち、性徴が医学による客観的な区分が可能な属性であるのに対して、ジェンダー・アイデンティティ、性表現、および性的指向は個人や社会の主観的な認識による属性であり、必ずしも男性か女性のいずれか一つを選択する【性別二元論 gender binary】で区分できるとは限りません。例えば、ジェンダー・アイデンティティが40%男性で60%女性、性表現が10%男性で90%女性、性的指向が50%異性で50%同性(ステレオタイプなな両性愛)といったように、中位に属するケースが普通に存在します。このようなセクシュアリティの柔軟性を【性的多様性 sexual diversity】と言います。

また、ジェンダー・アイデンティティと性表現は、個人が属する社会がもつ「男らしさ」「女らしさ」の認識に依存します。社会は、政治的・社会的・文化的に異なる共同体によって運営されているので、自ずと「らしさ」に対する認識が異なります。共同体の認識は、地域(空間変動)や時代(時間変動)によってドラスティックに変化することから、ジェンダー・アイデンティティも影響を受けることになります。例えば、ザ・ビートルズの登場以来、男性の長髪に対する社会の認識が西欧社会から変化を始め、現在では世界中の大半の地域で長髪は女性の性表現とは言えなくなりました。このような社会の時間的・空間的認識の違いが【社会的性の曖昧性 gender ambiguity】を生みます。

さらに、個人によっては、セクシュアリティが時間の経過とともに変化する【非定常性 unsteady】が存在することも最近の発達心理学の事例研究で明らかになっています。このような個人のセクシュアリティが時間変動する性質を【性的流動性 sexual fluidity】と言います。例えば、中学生の時に自分の性的指向が同性愛であると認識していた生物学的な女子が、その精神的・肉体的成長とともに異性愛であると認識するようになるといったステレオタイプな変化は現実に発生しているのです。

以上のような曖昧性と非定常性を考えた場合に、セクシュアリティの正確な識別は本人でも困難であり、安易なカテゴライズとステレオタイプ化には問題があります。特にSOGIは、個人の認識に関わるものであるので、第二次性徴が発現する前の少年・少女に対する過激な性教育はそのセクシュアリティ選択に不適切な影響を与える可能性があり、人権の観点から大きな問題があると言えます。

セクシュアリティと権利

国連憲章も日本国憲法も、すべての人に対する法の下の平等を原則にしていて、性による【差別 discrimination】は禁止されています。このことは、個人の性を特性化したセクシュアリティによる差別が禁止されていることを意味します。実際に、日本のような自由主義国家においては、他者から強制的な干渉を受けないという【消極的自由 negative liberty】が保障されており、個人の属性を根拠にした差別はこの自由を侵すことになります。例えば、セクシュアリティを根拠にした就職差別や雇用差別はあってはなりません。

しかしながら、他者に対して強制的に干渉して自己決定を実現する【積極的自由 positive liberty】の保障を求めるには国民の理解と民主主義のルールに則った法改正が必要です。例えば、シスジェンダー女性の専用施設をトランスジェンダー女性が利用することは現行法では禁止されている積極的自由の行使ということになります。世界の自由の総量は一定値(自由の質量保存則)なので、トランスジェンダー女性が積極的自由を行使すれば、シスジェンダー女性の消極的自由が侵害されることになります。

なお、自由主義(リベラリズム)の正義には【格差原理 difference principle】が適用されます。これは、最も不遇な弱者に合理的配慮(合理的差別)を行うことで平等を確保するものです。勘違いしやすいのですが、よく指摘されている専用施設利用やスポーツ大会参加という場合において、最も不遇な弱者は、性的マイノリティのトランスジェンダー女性ではなく、肉体的・生理的な弱点を持つ性的マジョリティのシスジェンダー女性ということになります。自由主義の正義においては「マイノリティ=最も不遇な弱者」ではありません。

すべての人がもつセクシュアリティに関わる問題は、性的マイノリティだけの権利ではなく、性的マジョリティを含めたすべての人の権利に関係します。その意味で日本の[性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する法律]の第1条に明記された「この法律は、全ての国民が、その性的指向又は性自認にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり…」という条文は理に適ったものと言えます。

一部の性的マジョリティの性的マイノリティに対する不理解は人権侵害の要因となります。同時に一部の性的マイノリティの性的マジョリティに対する過剰な要求も人権侵害の要因となります。重要なのは国民がセクシュアリティに関する理解を深め、不要な対立を回避することです。外国では、LGBTを対象にした差別禁止の過剰な強制によって、逆に差別意識が高まり、ヘイトクライムが激増しています。なお、この問題を悪用したレント・シーキング(公金チューチュー)はあってはならないことです。